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恨む比謝矼や(吉屋チルー)

「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」
     うらむひじゃばしや なさけねんひとぅぬ
             わぬわたさとぅむてぃ かきてぃうちゃら

(恨めしい比謝橋よ、情知らずな人が私を渡そうと思って架けておいたのか)

恨む比謝矼や(吉屋チルー)
この歌碑は、58号線を嘉手納ロータリーから名護向け約400m、
比謝矼を越えて右側にあります。

吉屋チルーは、恩納ナビ―(ウンナ ナビ―)と並び称される
沖縄の女流歌人です。
沖縄の歌人と言えば、必ず2人の名前が挙がります。

借金苦で自暴自棄になっている父と、病弱な母と暮らすチルー。
一家の苦境を救おうと、チルーは自ら遊廓へ売られることを決意します。
8歳のチルーが、那覇へ向かう途中に詠んだ歌だと言われています。

「おとー、あぬ橋やぬーんでぃる橋やが」
     (お父さん、あの橋の名前は何ていうの?)

「比謝矼やさ」         
     (比謝矼だよ)

「うらむひじゃばしや なさけねんひとぅぬ
        わぬわたさとぅむてぃ かきてぃうちゃら」
      
「この橋さえなければ、こんな悲しい思いをしないで済むものを・・・」

もしも橋がなく、渡し船だったとしても、
チルーは渡し船に恨みつらみをぶつけた事でしょう。
決して親兄弟ではなく・・・。

8歳の貧しいチルーが、
その時この素晴らしい歌が読めたかとの疑問が残ります。

その時の心情を、後に遊女となって
琉歌を学び、歌ったのではないかと思います。
恨む比謝矼や(吉屋チルー)
現在の比謝矼

今から350年程前に、慶長の薩摩侵攻後
薩摩に海外貿易は中国のみとされた為
首里王腑の財政が緊迫し、重く課税されたので
百姓・町人がその負担に耐えられず
朝に夕に苦しみ、世の中がすさんだ時代でした。

その様な時代背景の中で、
中国の冊封使(さっぷうし)一行を歓待しもてなす。
首里王腑の財政は、益々苦境に陥り
王国の命運をも左右する重大事となりました。

時の摂政、羽地朝秀と三司官は評定のすえ、「辻むら」を設立しまた。
王命を受け、王女がみずから側女を引き連れ、
「辻むら」の開祖となったとのことです。
恨む比謝矼や(吉屋チルー)
那覇の辻遊郭

首里王腑の外交・内政政策の一端を担っての発足でしたから
大繁盛したと言われています。
その後、貧しい農村の子女も親兄弟の犠牲になって
辻むらに売られて来ました。

吉屋チルーと同じ身売りです。

この様な過酷な運命を受け入れながらも
歌舞音曲、料理、躾、言葉遣い等の教養を身に付けて、
当時の王腑の財政を陰から支えていたのです。

恨む比謝矼や(吉屋チルー)
 旧暦1月20日に、辻遊廓のジュリが遊廓を出て踊る「ジュリ馬スネー」、
 「辻売り」された女性は年に一度、両親と互いの姿を確かめ合ったという

当時の遊郭は社交場という性格も強く
文化サロンのような趣の座敷もあったようです。
遊女は客を楽しませるため
それなりの芸能や文学の素養が求められました。

現在の日本でも、クラブのホステスは
ビジネスマンなど客の話題についていけるよう、
日経新聞、情報誌などを読み込んでいると言われますが、
それに通じるものがあるのでしょう。

恨む比謝矼や(吉屋チルー)
料亭那覇のおもてなし(こんな感じだったのでしょうか)

当時は士族の女性でさえ
学芸を身につける必要はない、とされていたようなので
王朝時代の琉球で、最も高い教養を備えていた女性は
じつは彼女たちのような遊女だったのかも知れません。

チルーは遊郭で歌の才能を発揮し、
売れっ子の遊女になったと言われています。

そして伝説によれば、客との歌詠み比べで
 「流りゆる水に 桜花浮きて」  とチルーの読んだ上の句に
 「色美らさあてぃどぅ すくてぃ見ちゃる」  と仲里の按司が返します。
恨む比謝矼や(吉屋チルー)
見事な返しの句に、チルーは仲里の按司を、恋慕うようになります。
(平敷屋朝敏が書いたチルーの悲恋物語『苔の下』では“何某の按司”)

その後、吉屋の女主人は
チルーを「黒雲殿」という人物に身請けさせようとします。
相思相愛の二人とはいえ、侍と遊女の身分の差はどうしようもありません。
チルーは按司との叶わぬ恋に、悲嘆にくれて食を絶って死んでしまいます。
数え年19歳、満年齢では18歳、あまりにも若い死です。
恨む比謝矼や(吉屋チルー)
「及ばらぬとめば 思い増す鏡 影やちやもうつち 拝みぼしゃぬ」
  (及ばないと思えば思うほど思いが増す 
      鏡よ、あの方の姿だけでも映して・・・お会いしたい)

「鳴ちゅるむぬ聞かぬ鳴らぬむぬ聞ちゅし くぬ世からあぬ世近くなたら」
   (鳴っている筈の音が聞こえず、鳴ってない筈の音が聞こえるという事は
                     この世からあの世が近くなったのだろうか)

叶わぬ恋、思い通りにならない自分の人生を、おだやかに受け止め、
迫り来る死を、静かに見つめていたのかも知れません。

合掌                      Text by Yonaha




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