沖縄の名前

株式会社 リウデン

2019年02月04日 08:00

沖縄の地名や名前には地元の人ですら読めないものがある。
弊社の住所の「勢理客」→じっちゃく


その他には、
山入端(やまのは)、我如古(がねこ)、饒平名(よへな)、喜屋武(きゃん)、仲村渠(なかんだかり)、大工廻(たくえ、だくじゃく)、真境名(まじきな)など。

極め付きは3文字の「保栄茂」は2音の「びん」と読まれる。

社員の中には、後蔵根(くしくらね)、東仲與根(ひがしなかよね)がいる。
私の姓の「与那覇」も他府県に行くと、よく「与那嶺」に変えて読まれる。

沖縄の名字のこんなコントを聞いた事があります。
飲み会の帰りの警官の職務質問

警官:「ちょっと、話を聞かせてもらっても良いかな、君、名前は?」
A:「おんなです」
警官:「いや、性別を聞いているんじゃないよ、君は男だろ、名前は?」
A:「だから恩納です」
警官:「えー!、恩納か。で、そこの君は恩納君の仲間かな?・・、君の名前は?」
B:「なかまです」
警官:「仲間かどうかを聞いているんじゃないよ。名前は?」
B:「だから、仲間です」
警官:「え!・・・。じゃー、そこの君の名前は?」
C:「ほかまです」
警官:「おんな、なかま、ほかま、 かぁ・・・」
警官:「外間君、君の出身地はどこ?」
C:「出身地って?」
警官:「生まれた場所だよ」
C:「沖縄の恩納の伊武部です。」
警官:「はー?? おきなわのおんなのいんぶー!!」

最後のやり取りは、沖縄の人には違和感はないと思いますが、他府県の人には衝撃的です。

琉球王国の時代には士族は3つの名前を持っていました。
「童名(わらびなー)」、「琉球名」、「唐名」の3つです。

17世紀から18世紀にかけて活躍した蔡温(さいおん)は、14世紀に中国から渡来した久米36姓の子孫の一人で、琉球の歴史の中でもっとも有名な政治家です。
1728年、琉球王朝の役人の最高位である三司官(総理大臣クラス)になり、「蔡温の前に蔡温なし、蔡温の後に蔡温なし」とうたわれました。

その蔡温の「童名」は「カマダー」。「琉球名」は「具志頭親方文若」。「唐名」が「蔡温」です。

「琉球名」の「具志頭」は姓で任地を表し、任地がかわると姓が変わりました。
「親方」は琉球王国の役職で、名前が「文若」です。名前の最初の一字は名乗り頭と言われ、一門の人たちは皆同じ一字がつきます。

私の父は「童名」の「カマデー」と呼ばれていました。父の先輩や友達は皆「カマデー」と呼んでいたので、少し大きくなるまで、父の名前は「カマデー」だと思っていました。
父の名は「与那覇 政要」。名乗り頭は「政」。
これは東姓で一門には、佐久本、安仁屋、座波、名城の方々がいます。

兄と私の「童名」を聞いた事があります。兄は「サンデー」、私は「メークー」。
しかしながらその名で一度も呼ばれた事はありません。

        Yonaha


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