沖縄の法事(八重山)
八重山石垣市で父の25回忌、母の7回忌の法事がありました。

仏壇の下の段は母の7回忌のお供え物、中段と上段は父の25回忌のお供え物
一昔前は、地域の物知りおばあさんがいて、法事の段取りや料理の指南をしていただいたのですが、最近ではそのような方が少なくなりました。昔のしきたりが生活改善を名目に、だんだん廃れて行くと思いますので、ここにメモしておきたいと思います。

法事の前日の夕方、お墓にお迎えに行きました。

家の門の両側に線香をたいて、故人をお迎えします。
ここから、故人へのおもてなしが始まります。ご馳走の数々が出てきます。

1番の吸い物(そうめんの吸い物)とお菓子、お線香をたいてお勧めします。

2番の吸い物(左は母の7回忌のお供え物、右は父の25回忌のお供え物)

3番の吸い物

夕飯(ご飯、なます皿、小皿漬物、お汁)

「姉さん、この人だれだか知っている?」
「・・・・・・???」
「○○家の○○さん」
「あ”-」
60年ぶりの再会。記憶の糸を手繰り寄せながら、昔話に花が咲きます。

一人ひとり、父母や祖父母の思い出を話しながら焼香。

一番上の姉は、サイパン島の生活や、戦争体験の思い出を、父母への感謝の言葉で話してくれました。筆者の甥っ子が、
「八重山は焼香するとき、故人に向かって何か話しかけるの?」
法事の取り仕切り役の3番目の姉が
「いや、わが家だけだよ」一同大笑い。みんな思い思いに仏壇に話しかけていました。

おもち、大皿(かまぼこ、天ぷら、昆布巻き、三枚肉、カステラかまぼこ、なんとう)

三味の吸い物とお供え物
お供え物が一段落した後に、高校生の孫が仏前で八重山民謡の「繁盛節」引いて聞かせました。
一番年上の孫がギターの引き語り

うちなーバージョンの「涙そうそう」と「愛燦々」やさしい歌声、アマチュアの域を超えていました。
筆者は母の好きだった「十九の春」をケーナで演奏しました。
よその法事では鳴り物を見たことがありません.
故人をしのんで「楽しい事はいい事だ!」これが我が家流です。

かまぼこ、三枚肉、煮物とお酒

おさしみ

ここで三味の焼香が一区切り
一番下のひ孫が数え唄を披露してくれました。

ひとーつ・・・・まだ発音も順調ではありませんでしたが、大喝采でした。
親戚のみんなが思い思いに語り合って、夜も更けて翌日になっていました。

法事当日のお供え物

左は7回忌のお供え物、右は25回忌のお供え物

法事のお供え物

霊供盆(ご飯、砂糖天ぷら、大平、りんがく、漬物、小平、お汁、天ぷら、なます)八重山独特のお供え物だそうです。

おもち、かまぼこ、三枚肉などをお供えして

お昼の12時にお坊さんの読経と焼香。その後、家族ごとに焼香しました。

お説教

法事に参加された方々へのおもてなし

御送り菓子と大皿(かまぼこ、ゴボウ巻き、カステラ、昆布巻き、豆腐、三枚肉、なんとぅ)を供えて、その中から一つずつ小さなお皿に入れて、お墓へお見送りします。

お墓ではお水、お酒をお供えし、焼香をして、打ち紙(あの世のお金)を焼いてお見送り。

あの世でも何不自由なく暮らせますように。合掌
主だった親戚一同でお見送りし、2日間の法事が終わりました。
でも最近はここまでやる家庭はなかなか無いのではないかと思います。
これだけの料理の準備は大変です。長男の嫁さんが敬遠されるのは分かるような気がします。筆者の兄嫁はよく出来た人で、私達6人の兄弟とその家族をいつも笑顔で迎え、多くの人達が出入りする家庭を切り盛りしています。いつも感謝しています。
筆者が小さい頃は、三枚肉やおもちなど滅多に口に入らないものばかり、父親の法事の帰りを待っていたものです。親は親で家で待っている子供たちの為に、形だけ口をつけて、ほとんど家に持って帰ってきました。
お家の落成式やお祝いや法事など、日頃怖い父親が待ちどうしく感じられたものです。
今は飽食の時代、あのころが懐かしく思えます。
法事、それはあの世の人の為ではなく、今に生きる私達の故人に対する感謝と報恩を養う、この世の勉強の場だと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Text by Yonaha
○参考に法事の料理の準備メモを貼り付けておきます。







仏壇の下の段は母の7回忌のお供え物、中段と上段は父の25回忌のお供え物
一昔前は、地域の物知りおばあさんがいて、法事の段取りや料理の指南をしていただいたのですが、最近ではそのような方が少なくなりました。昔のしきたりが生活改善を名目に、だんだん廃れて行くと思いますので、ここにメモしておきたいと思います。

法事の前日の夕方、お墓にお迎えに行きました。

家の門の両側に線香をたいて、故人をお迎えします。
ここから、故人へのおもてなしが始まります。ご馳走の数々が出てきます。

1番の吸い物(そうめんの吸い物)とお菓子、お線香をたいてお勧めします。

2番の吸い物(左は母の7回忌のお供え物、右は父の25回忌のお供え物)

3番の吸い物

夕飯(ご飯、なます皿、小皿漬物、お汁)

「姉さん、この人だれだか知っている?」
「・・・・・・???」
「○○家の○○さん」
「あ”-」
60年ぶりの再会。記憶の糸を手繰り寄せながら、昔話に花が咲きます。

一人ひとり、父母や祖父母の思い出を話しながら焼香。

一番上の姉は、サイパン島の生活や、戦争体験の思い出を、父母への感謝の言葉で話してくれました。筆者の甥っ子が、
「八重山は焼香するとき、故人に向かって何か話しかけるの?」
法事の取り仕切り役の3番目の姉が
「いや、わが家だけだよ」一同大笑い。みんな思い思いに仏壇に話しかけていました。

おもち、大皿(かまぼこ、天ぷら、昆布巻き、三枚肉、カステラかまぼこ、なんとう)

三味の吸い物とお供え物
お供え物が一段落した後に、高校生の孫が仏前で八重山民謡の「繁盛節」引いて聞かせました。
一番年上の孫がギターの引き語り

うちなーバージョンの「涙そうそう」と「愛燦々」やさしい歌声、アマチュアの域を超えていました。
筆者は母の好きだった「十九の春」をケーナで演奏しました。
よその法事では鳴り物を見たことがありません.
故人をしのんで「楽しい事はいい事だ!」これが我が家流です。

かまぼこ、三枚肉、煮物とお酒

おさしみ

ここで三味の焼香が一区切り
一番下のひ孫が数え唄を披露してくれました。

ひとーつ・・・・まだ発音も順調ではありませんでしたが、大喝采でした。
親戚のみんなが思い思いに語り合って、夜も更けて翌日になっていました。

法事当日のお供え物

左は7回忌のお供え物、右は25回忌のお供え物

法事のお供え物

霊供盆(ご飯、砂糖天ぷら、大平、りんがく、漬物、小平、お汁、天ぷら、なます)八重山独特のお供え物だそうです。

おもち、かまぼこ、三枚肉などをお供えして

お昼の12時にお坊さんの読経と焼香。その後、家族ごとに焼香しました。

お説教

法事に参加された方々へのおもてなし

御送り菓子と大皿(かまぼこ、ゴボウ巻き、カステラ、昆布巻き、豆腐、三枚肉、なんとぅ)を供えて、その中から一つずつ小さなお皿に入れて、お墓へお見送りします。

お墓ではお水、お酒をお供えし、焼香をして、打ち紙(あの世のお金)を焼いてお見送り。

あの世でも何不自由なく暮らせますように。合掌
主だった親戚一同でお見送りし、2日間の法事が終わりました。
でも最近はここまでやる家庭はなかなか無いのではないかと思います。
これだけの料理の準備は大変です。長男の嫁さんが敬遠されるのは分かるような気がします。筆者の兄嫁はよく出来た人で、私達6人の兄弟とその家族をいつも笑顔で迎え、多くの人達が出入りする家庭を切り盛りしています。いつも感謝しています。
筆者が小さい頃は、三枚肉やおもちなど滅多に口に入らないものばかり、父親の法事の帰りを待っていたものです。親は親で家で待っている子供たちの為に、形だけ口をつけて、ほとんど家に持って帰ってきました。
お家の落成式やお祝いや法事など、日頃怖い父親が待ちどうしく感じられたものです。
今は飽食の時代、あのころが懐かしく思えます。
法事、それはあの世の人の為ではなく、今に生きる私達の故人に対する感謝と報恩を養う、この世の勉強の場だと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Text by Yonaha
○参考に法事の料理の準備メモを貼り付けておきます。





